磯村勇斗(いそむらはやと)身長やプロフ バリスタに⁈似てる芸能人や友達は? 「晴天を衝け」初出演

イケメン俳優

今回は、2021年の大河ドラマ「晴天を衝け」に出演のイケメン俳優、磯村勇斗さんについてまとめてみました!

https://twitter.com/stepone813/status/1379593631477035017?s=20

将軍継嗣問題で若くして将軍の座に就くこととなり、時代に翻弄されながらも、発奮する、第14代将軍・家茂役を演じられます。

磯村勇斗さんは、「今回、初めての大河ドラマ出演という事で、お芝居以外にも身に付ける事が沢山あり、しっかり体に馴染ませて撮影に臨みたいです。」とコメントされています。

磯村勇斗身長やプロフィール バリスタに!

磯村勇斗(いそむらはやと)さんは、静岡県沼津市出身で1992年9月11日生まれ、おとめ座の28歳(2021年3月現在)です。

血液型はA型。身長は176㎝。

家族構成は、両親と、8歳年上の兄の4人家族のようです。

好きなものは、朝の一杯目のブラックが1番好きということで、1日3杯は飲むそうです。

カフェで働いていた経験もあり、コーヒー好きが高じて自分で豆をブレンドして、グッズにするほどとのこと。

オンラインで行われたコスタコーヒーのPETボトルコーヒーの発売記念イベントに1日限定バリスタとして出席した動画があります。





特技は、バスケットボール、燻製。

趣味はサウナ、料理、都市伝説の研究、ゾンビ映画鑑賞。

大のゾンビ映画好きだそうで、ゾンビ映画の第一人者のジョージ・A・ロメロ監督を尊敬しているということです。

しかし、燻製というのは珍しい特技ですね!

燻製器のある家はなかなか無いと思うので、健康に対する意識が高い人なのでは?と推察してしまいました。

磯村勇斗仮面ライダーゴーストで人気

次に、磯村勇斗さんの生い立ちについてです。

小学生の頃の夢は意外にも芸人だったということで、アンジャッシュやインパルスに憧れていたそうです。

かっこよくて面白いとなると、鬼に金棒ですね!

磯村勇斗さんが、俳優になることを決めたきっかけとなったのは、中学2年生の時に学校で作った自身主演の自主製作映画だったそうです。

そして、中学卒業後に東京に行こうとしていましたが、両親に止められ、沼津市西高校へ進学します。

進学後、高校2年生の時に劇団に週1回レッスンを受け、高校卒業後は、劇団に入るつもりでした。

が、再び両親の反対により、劇団ではなく演劇科のある桜美林大学へ進学することで落ち着きます。

せっかく入った大学でしたが2年で中退し、その後は、居酒屋やカフェでアルバイトをしながら小劇場で舞台に出演し、劇団を転々としていたようです。その時に所属事務所の演出家の舞台に出演したことで、芸能界に入り、2014年に俳優デビューとなっています。

2015年、ドラマ「仮面ライダーゴースト」で注目を集め、2017年、NHK連続テレビ小説「ひよっこ」に出演。2018年、ドラマ「今日から俺は!!」(日本テレビ)で第14回コンフィデンスアワード・ドラマ賞新人賞を受賞しています。

https://www.oricon.co.jp/category/drama/

ドラマ『今日から俺は!!』で相良猛を演じる磯村勇斗(C)日本テレビ

所属事務所は、「ドルチェスター」「ドリームプラス」を経て、現在BLUE LABELに所属しています。

中学生で自主製作映画が作れてしまうのは才能があるとしか思えませんね!

将来、ゾンビ映画を「CGを駆使して作りたい、監督をしたい、世界で活躍したい」と言われているそうですが、本当に実現しそうです。


磯村勇斗性格

磯村勇斗さんの性格ですが、幼い頃から体を動かすことが好きで、小学生の時にアスルクラロ沼津のジュニアチームでサッカー、中学から高校にかけてバスケットボールをしていて活発だったようです。

小学生の頃の夢は芸人で、中学生では主演の映画を作ったりと目立ちたがり屋だったことが伺えます。
高校では校則が厳しいことに反発していたそうで、素直でやんちゃなところもあったそうです。

中学生から目指していた俳優になるなど、好きなことを極めたり、目標を達成するまで行動し続ける努力家でもあります。

磯村勇斗さんは料理好きで、アルバイトで調理場での経験があり、「ひよっこ」の見習い料理人役の時、プロのシェフに指導を受けて、全て一人で演じられたとのことです。

また、「珍種目No.1は誰だ!? ピラミッド・ダービー」の料理王に出演し、優勝するほどの腕前です。

https://www.cinemacafe.net/category/news/

磯村勇斗が料理対決に挑戦!上白石萌音はどう予想する!?「ピラミッド・ダービー」2時間SP

そんな何でも出来てしまう磯村勇斗さんは、女性に対しては意外と(?)あっさりしているようで、好きな人がいても、相手が自分に興味がなさそうな時は諦めてしまうそうです。

アプローチしてみて、手応えがなければ振り向かせようとまでは思わないみたいです。

逆にたくさんアプローチされると思うので、追う必要がないですしね。羨ましい話です!



磯村勇斗似てる人 るろうに剣心出演?

何人か似ていると言われていますが、中でも俳優の矢野聖人さんはお互いが似ていると自覚するほどでした。

二人は、NHKドラマ「デイジーラック」で共演していました!

矢野聖人さんの方が目鼻立ちが大きくはっきりしていますが、今回のツイッターでは見分けがつきやすいですが、アングルによっては本当に見分けがつかない写真があります。

次に、菅田将暉さんの名前が挙がっていました。

そう言われれば似てる感じもしますね。

他に、「るろうに剣心」で磯村勇斗さんが検索されているようですが、どうやら三浦涼介さんと間違われたようです。

綾野剛さんや、巨人の坂本選手のなどの名前が挙がっていましたが、個人的にはやはり矢野聖人さんが一番似ていると思いました!

磯村勇斗の友達は?

磯村勇斗さんの交友関係についてみてみましょう!

まずは、鈴木伸之(すずきのぶゆき)さん。ドラマで共演をしてから、同い年なこともあって仲良くなり、オンラインで話ながらゲームをしたり、買い物や食事にも出かけているようです。

次に、多和田任益(たわだひでや)さん。年が同じ位なので、気が合うようでSNSで仲の良い写真を何回も載せています。

そして、中島裕翔(なかじま ゆうと)さん。「SUITS/スーツ」で初めて共演して、一緒に芝居をするのが楽しいと感じたそうで、プライベートでも友情を結びたいと言われています。

最後は、原田泰造(はらだたいぞう)さん、三宅弘城(みやけ ひろき)さん。サウナ友達で、ドラマ「サ道」でも共演し、3人はサウナの本場、フィンランドの「フィンランドサウナアンバサダー」に任命されています。

趣味のサウナもアンバサダーにまで任命されるなんて、趣味のレベルを超えてますね。

「サウナーーーズ2」という磯村勇斗さんのサウナ番組が4/9日にWOWOWオンデマンドにて配信されていますが、とても楽しそうです!

 

磯村勇斗演じる徳川家茂の生涯

2021年大河ドラマ「晴天を衝け」で、磯村勇斗さん演じる、第14代将軍・徳川家茂(いえもち)はどんな人物だったのでしょうか?

家茂は弘化3年(1846年)、第11代和歌山藩主・徳川斉順(なりより)と側室で、若山藩士・松平六郎右衛門晋の娘・みさ(実成院)との間に長子として生まれました。

生まれた翌年に、第12代和歌山藩主・斉彊(なりかつ)の養子となっています。

嘉永2年(1849年)、養父が没したため4歳で藩主に就任。

家茂の養育係は、旗本・古屋豊展の娘であった波江という老女(役職名)でした。

波江は美しく聡明、慈愛に満ちた女性だったそうです。

家茂は、乗馬を好み、剣術や歌や文学は好まなかったとされていますが、実際は徳川一門の大名にふさわしく、即興で歌を詠む才能の持ち主だったとのことです。

儒教の経典もよく読み、教養も身につけていて、勝海舟も「文武に長けた人物」と評価しているそうです。

家茂は、優しい養育係に育てられて幸せな少年時代を過ごしているように感じます。

嘉永4年(1851年)6歳の時に徳川慶福(よしとみ)と改名します。

安政5年(1858年)、一橋派(後の15代将軍・徳川慶喜を推す一派)との抗争の末に勝利し、その直後に第13代将軍・徳川家定も死去したため、家茂は13歳という若さで第14代将軍となりました。

後見人は、田安徳川家の第5代および8代当主・徳川慶頼(よしより)でした。

徳川家茂・和宮との政略結婚

文久2年(1862年)、発案者は井伊直弼とされ、幕府と朝廷を婚姻によって結びつけるために、家茂が17歳の時に和宮と結婚させられます。

和宮は大奥のしきたりに馴染めず、辛い思いをしていましたが、家茂はいつも彼女の味方をして夫婦の間には深い愛情があったようです。

家茂は聡明で、責任感が強く、きちんと謝罪し、優しく温厚、動物好きと育ちも性格もよかったことが、あとの和宮のエピソードでもわかります。

1862年、徳川慶頼が後見の座を退き、同年に、薩摩藩の島津久光が、朝廷の意思を携えて、慶喜を将軍後見職に任命することを要求し、幕府はのまざるを得ませんでした。

以降、家茂は後見職である慶喜の陰に隠れがちになります。

徳川家茂の死

文久3年(1863年)、家茂は、公武合体(1850年代から1860年代の日本において、朝廷(公)の伝統的権威と、幕府及び諸藩(武)を結びつけて幕藩体制の再編強化をはかろうとした政治運動。対義語は尊皇攘夷)の推進を図るため京都に入りましたが、過激な尊攘運動の攻勢に合い、雨に打たれながら孝明天皇を待つことになりました。このことが原因で体調を崩してしまったようです。

元治元年(1864年)、家茂は再び公武合体を実現しようと京都入りしましたが、ますます危険な状況となっていたため、江戸へ戻ります。

夏に禁門の変(蛤御門の変)が起こると、長州藩を討伐との声があがり、第一次長州征伐を開始。

このときは、長州藩側が家老らに切腹させ、恭順の意を示したことで終わりました。

元治2年(1865年)、薩摩藩と同盟を結ぶことに成功した長州藩が第二次長州征伐で勝利し、幕府の権威は地に落ちてしまいます。

慶応2年(1866年)第2次長州征伐の途上、大阪城内で家茂は病死します。享年21歳。

死因は、過度なストレスや喉と胃腸の不調、脚気に苦しんでいたとされています。

「空蝉の 唐織ごろも なにかせむ 綾も錦も 君ありてこそ」

せっかく美しい着物が届いても、見せるあなたがいないのに、一体何の意味があるというのでしょう

家茂の死後、和宮に彼女が欲しがっていた西陣織の着物が届き、和宮の詠んだ句です。

勝海舟は「長生きしたら歴史に名君として名を残せただろうに」と嘆き、その名を口にするだけで涙ぐんでいたといいます。

亡くなった後に、近い存在の妻や偉人にここまで惜しまれるなんて人柄の良さが伝わってきます。「尊皇攘夷」や「倒幕」運動で内輪揉めをせず、さっさと開国と富国強兵という道を選んでいれば、有能な人材が無駄に失われずに済んだのでは、と思うと残念です。

まとめ

磯村勇斗(いそむらはやと)さんは、将来、「CGを駆使して作りたい、監督をしたい」というほど大のゾンビ映画好きということです。

小学生の頃の夢は意外にも芸人でしたが、中学生で自身主演の自主製作映画を機に俳優を志し、大学を中退して舞台で経験を積んでいたところ、芸能界入りました。何度も両親に反対されていましたが、芸能界に入ってからは応援してくれているそうで良かったです!

芸能界で一番仲が良いのは、鈴木伸之さんだそうですが、趣味のサウナ仲間もいて交友関係が広いですね!

2021年の大河ドラマ「晴天を衝け」第14代将軍・徳川家茂役で、主役・渋沢栄一との接点はあまりなさそうですが、優しい将軍を演じる磯村勇斗さんに注目です。


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